私、足利義満の娘・智子です。
鎌倉公方邸を後にし、私は関東管領・上杉憲実殿の居館に行きました。
居館に通された私は庭に案内され、そこに憲実殿がいました。
憲実「おぉ、聖仙殿。よく来てくだされた。」
私「御招き頂き光栄です。」
そういう憲実殿は少し疲れた様子です。
私「憲実様、お疲れのようですが…。」
憲実「うむ…。我が主人には血気盛んで困ったものでな。京の将軍様と争うことを望んでいるようで諌めるのに一苦労なのだ。」
私「主人というと鎌倉公方様の足利持氏様のことですね?」
憲実「そうだ。若い持氏様を更に若いわしが補佐するのは辛いもの…おっと愚痴を言ってしまった。ところで鎌倉に入ってくる将軍様の義教様の噂も血気盛んのように感じるのだ。」
私「将軍になられたばかりですからね。」
憲実「日野家の所領を没取したとか、持氏様と衝突するのではと関東管領としては気が使わねばならん。」
既に日野義資殿の所領没取のことが関東に伝わっているとは上杉殿も間者をはなっているのでしょう。
憲実「本音は出家してお経を読み暮らしたいものだ。」
私「憲実様は本がお好きなんですね。」
憲実「今は金沢文庫を再興し、いずれ足利庄では足利学校を再興しようと思っている。」
憲実「人を育て武力を用いず、世が治まればと思うのだが…。」
私「そんな世が一番ですね。」
私の憲実殿の清いと思った印象は間違いなかったようです。
明けて1430年、京では義教が強権を振るっていました。
公家の東坊城益長殿が所領没取の上、蟄居となったのです。
儀式の時に益長殿の笑顔を見た義教が将軍を見て笑ったという理由でした。
また、義教は正室の日野宗子殿を遠ざけ側室の正親町三条尹子様に心を移していました。
さらに義教の強権はさらに増長していくのです…。
つづく…
