俺らは義満の子 〜怒る持氏〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️



私、足利義満の娘・智子です。



関東へ来た私は金沢文庫で関東管領・上杉憲実殿に会いました。

憲実殿は鎌倉公方・足利持氏殿に呼ばれ鎌倉へ向かい、私も間者の小百合と合流して鎌倉へ行きました。



憲実殿は鎌倉公方邸に入りました。

コアラ鎌倉公方邸は足利氏第2代当主・足利義兼さんの時代に建てられたんだよ。でも1454年に起こった享徳の乱で焼失したんだ。


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鎌倉公方邸です。


私と小百合は居館に忍び込みます。


そこで大きな声が聞こえてきました。

「なぜ使わねばならん⁉︎ 」

声の持ち主は持氏殿でした。その場には憲実殿もいます。

憲実「元号は正長から永享に変わったのです。永享を使わねば…」

持氏「義教が決めたことであろう!わしはあやつを将軍とは認めておらん!」

憲実「しかし正式に朝廷より任じられた将軍でござりまする。」

持氏「くそっ!やはり将軍宣下される前に京へ上るべきだったわ!わしは正長を使い続けるぞ!」


持氏殿は熱り立っておりました。この時期に元号が永享に変わりましたが持氏殿は気に入らぬ様子でした。


持氏「憲実は京のことばかり気にかけておるの。」

憲実「争いは好みません。それに幕府のおかげで先の乱も治まったではごさりませぬか。」

コアラ憲実さんのいう先の乱というのは「上杉禅秀の乱」のことなんだ。この乱で持氏さんは幕府の協力を得て禅秀さんの乱に勝つことができたんだよ。


持氏「あれは義持殿が将軍の時だ。義教には恩はない!それに争わなかったから将軍になれなんだ!」


持氏は今だに義教が将軍になったことに全く納得していませんでした。

それを憲実殿がなんとか諌めているのが、この鎌倉の現状でした。





この頃、京では後小松上皇様が出家をしようとしましたが事前に相談がなかったと義教が怒り一旦出家を断念しました。

義教は将軍宣下が遅れたこともあり、上皇様に対して疑念を抱いていたのです。



余談ですが、翌1430年には守護大名・細川持之殿に男子が誕生しました。これが幼名を聡明丸、後の細川勝元殿です。

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勝元です。わしの活躍はずっと先のことです。




話は鎌倉へ戻ります。

憲実殿は自らの居館に戻り、私は憲実殿の居館に訪問しました…。












つづく…
コアラ次回もお楽しみに~バイバイ