私、足利義満の娘・智子です。
兄・義宣は「正長の土一揆」や旧南朝方の反乱、鎌倉公方の反抗に見舞われ将軍宣下もされず四面楚歌の状況でした。
義宣は自らの名前が「世を忍ぶ」に通じていると嫌い改名を考え出したのです。
こんな状況下ですが、義宣は正室を迎えています。お相手は日野宗子様です。
これは亡き義持の正室・日野栄子様と宗子様の兄・日野義資が協議したことでした。
しかし、義宣はこの婚儀には不満だったようでしたが…栄子様には逆らいませんでした。
義宣「日野家め!我が将軍家に巣食いやがって!今に見ていろ!」
義宣が日野家に対する不満を爆発させるのは後のことです。
ようやく畿内の土一揆も鎮圧されました。さらに旧南朝方の反乱も南朝方の有力者・北畠満雅殿が討死し反乱は小康状態になったのです。
そして関東で不穏な動きをしていた鎌倉公方・足利持氏殿は兵を率い上洛しようとしていましたが関東管領・上杉憲実殿が持氏殿を諌め治りました。
私は上杉憲実殿に間者の小百合を送り通じて繋がりをつけていました。
いずれ関東にも足を運んでみようと私の思いがあったのです。
こうして四面楚歌の状況を打開し、波乱の1428年が終わりました。
年が明けた1429年、義宣は名を改め義教としました。
さらに念願だった将軍宣下され室町幕府第6代征夷大将軍に任じられました。
そして、義教の政治が本格的に始まったのです…。
つづく…

