私、足利義満の娘・智子です。
1428年、後花園天皇様が誕生しました。
兄・義宣は後小松上皇の役に立ったことで、ようやく将軍宣下されると思いました。
しかし、大変な出来事が義宣や幕府首脳部を襲います。
それは正長の土一揆です。
借金苦の農民が徳政(債権、債務の契約破棄)を求めて起こした一揆は畿内一体に波及しました。
幕府も農民らの不穏な動きは察知していたものの一揆の規模がここまで大きくなるとは予想していませんでした。
義宣「満済、一揆鎮圧されておるか?」
満済「管領の畠山満家殿が出兵しております。」
義宣「うむ~、赤松満祐も出兵させよ。」
満済「満祐殿は侍所所司、うってつけですな。」
この時、満祐殿は義持とは揉めていましたが、義宣とは良好な関係だったのです。
一方で私は後花園天皇様の践祚で不満を持つ勢力の動きを調べていました。
それは旧南朝の勢力です。
私は間者の小百合と南朝方の有力者である北畠満雅殿のいる伊勢国に行きました。
私の予想が当たれば南朝の最後の帝、後亀山天皇様のお孫様の小倉宮聖承様が来るはずなのです。
予想は当たり、小倉宮様が嵯峨より逃亡してきましたが、北畠満雅殿の居館にもう1人の男が来ておりました。
それは鎌倉公方の足利持氏殿の使いの者だったのです。
小百合「なぜ持氏殿の使いが伊勢国に来ているのでしょう…?」
私「まさか…南朝方の勢力と結んで幕府に対抗するのでは…。」
足利将軍家を継いだばかりの義宣は土一揆、旧南朝方、それに結びつく鎌倉公方といきなり多方から攻められる状況になったのです。
私は小百合を残し、京の義宣の元へ戻り伊勢国の状況を報せました。
義宣「持氏が伊勢に!!おのれ!一揆勢も治まってない状況なのに!」
激怒した義宣は伊勢国の守護・土岐持頼殿に出兵させました。
義宣「なぜ、このような反乱ばかり起きるのだ⁈ 」
私「代替わりの時期を狙ってのことでしょう。」
義宣「なぁ智子、この義宣という名前が悪いのではないか?」
私「名前?」
義宣「よしのぶ、世を忍ぶに通じていると思うのだ。」
私「兄上のせいではありませぬ。」
義宣「確かにそうだか…わしは改名するぞ!」
こんな四面楚歌の状況、義宣は改名し縁起を担ごうと考えたのです…。
つづく…。
