私、足利義満の娘・智子です。
兄・義宣は官位も付いたにも関わらず将軍宣下はありませんでした。
私はあきらかに後小松上皇の嫌がらせとしか思えぬ朝廷の動きと考えます。
私は密かに朝廷内部を間者の小百合に調べさせましたが、驚くべき報せが入ってきました。
私「小百合、それは誠ですか?」
小百合「はい。かなりの数の医師と祈祷する僧が出入りしています。」
私は直ちに義宣の元に行きました。
私「兄上、称光天皇様が重い病に伏せっておりまする。」
義宣「何⁈ それは一大事ではないか!」
称光天皇様は病弱で子もいませんでした。さらに後継ぎの候補であった弟の小川宮様は1425年に亡くなっていたのです。
義宣「後継ぎもおらず、これでは上皇様はお困りであろう。」
満済「御所様、ここは上皇様をお助けし朝廷に恩を売っておくべきです。」
義宣「後継ぎを仲介するのだな?満済。」
満済「既にお考えでしたか。伏見宮貞成親王様の子、彦仁王様と上皇様の間を持ちましょう。」
この伏見宮貞成親王様は南北朝時代の北朝3代目の崇光天皇様のお孫様です。
ちなみに伏見宮貞成親王さんは一時は後小松上皇さんの猶子となって後継ぎ候補になったんだけど…称光天皇さんが反対したんだよ。
義宣「よし、彦仁王様を京へお連れしておこう。」
私「彦仁王は伏見におりまする。」
義宣「うむ。満済、手配を頼むぞ。わしは上皇様に後継ぎをお決め頂くように要請しよう。智子、いい報せだったぞ。」
私はこの時、一休様のことを思い出していました。一休様は今頃、どこにいるのだろうと…。
上皇様は義宣の要請に応じ彦仁王を猶子とし後継ぎと定めました。
さらに義宣が彦仁王を京にお連れしたことを知った上皇様は義宣の配慮に大変喜んだそうです。
そして1428年8月、称光天皇様は崩御され彦仁王が践祚されました。
践祚された彦仁王が後花園天皇様です…。
つづく…

