私、足利義満の娘・智子です。
兄・義持の近臣・赤松持貞殿の自害から半月ほど経ちました。
今回の義持と守護大名らの政争は近臣の持貞殿の自害で幕を閉じたのです。
私と義持の側近・満済殿が幕を閉じさせたのです。
持貞殿自害後、私は義持に会いました。
義持の本当を聞きたかったからです。
私「兄上、持貞殿は自害しました。」
義持「…また近臣を失った。」
私「この先、赤松家をどうされますか?」
義持「これ以上、赤松…いや守護大名らと争っても得はない。赤松満祐は赦す。」
私「兄上は…持貞殿に利用されていたのですか?それとも利用していたのですか?」
義持「……両方かもしれん。守護大名らの力を押さえる権力を手にするには近臣を使うしかなかった。しかし、わしには近臣を使いこなせなかった…。無念じゃ。」
義持はひどく落ち込んだ様子で、
義持「なぁ、智子。父上は自らを否定せよと遺言を残したが、そのとおりであった。わしは父上のように守護大名らを押さえようとしたが…否定せよというのはわしには押さえる力はないと言いたかったのだろう。」
私「しかし、父上の時代に比べて兄上が治める時代は平穏であります。戦せずとも平穏を守る力が兄上にはあったのです。」
義持「智子にそう言われると癒されるわ。」
その後、義持は落ち着きました。私もホッとしました。
話を戻し持貞殿自害から半月後に赤松満祐殿は罪を赦され播磨、美作、備前の3ヶ国の相続を認められました。
私は満済殿と謀り、持貞殿に罪を着せたのです。
持貞殿には赤松氏の惣領になる野心はありました。義持の側室との密通もありましたが男女の関係ではなかったのです。
しかし、足利将軍家を守るため、持貞殿を犠牲にしたのです。
満済殿は守護大名らと協力し持貞殿の切腹の命を抑えようとしたのは将軍家と守護大名の合議制こそ平穏な世を治める良策と義持にわかってほしかったからなのです。
結局、誰も得することない政争は終わりました。
そして1428年、天下の一大事が起きます…。
つづく…
