私、足利義満の娘・智子です。
1423年4月、兄・義持が将軍職を子の義量殿に譲ったことにより室町幕府5代将軍が誕生しました。
どうも、将軍になった義量です。父の期待に添えるよう頑張ります。
義持はホッとした様子でしたが、もう一つ退位した狙いがありました。
義持「義量が良い将軍になるためにわしも支えていかねばならん。そのために…」
私「兄上、何か他に狙いがあるのですね。」
義持「鋭いの。わしは出家しようと思う。さらに自由な身となり政治を行うのだ。」
私「それは父上と同じようにすることですね。」
義持「これは父上を否定せず真似させてもらう。しかし、出家するまで内緒だぞ。後小松上皇様は反対されるはずだからな。」
私「兄上は自由になるだけでなく、禅に没頭したいのですね。」
義持「ふふっ(笑)、そこまで言わなくてよい。」
こうして義持は出家しました。法名を道詮といいます。(ここでは、この後も義持で通します。)
出家した義持は鎌倉公方・持氏殿を討伐する命を出しました。
義持「持氏め、もう許さん!満済、関東周辺の武士に持氏討伐を命ずるぞ!」
満済「はい。今川範政殿、小笠原政康殿、武蔵の武士らにも命を出します。」
義持の強行な態度に持氏殿は恐れをなし、1424年持氏殿は謝罪してきました。
そして幕府と持氏殿は和睦しましたが、和睦の条件でもめ、これが後の火種となっていたのです。
この頃、私は京で一休様に偶然お会いしました。
一休様とお会いするのは一休様が大悟されて以来のことです…。
つづく…
