俺らは義満の子 〜北山第、解体〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私、足利義満の娘・智子です。


満済殿は兄・義持を補佐し幕政にも関与して黒衣の宰相とも呼ばれました。


コアラ「黒衣の宰相」って僧でありながら政治に参与する権力者の側近のことを言うんだよ。





義持の側近である満済殿は時には義持にも意見をします。


満済「御所様、富樫満成に関しては持ち上げ過ぎでしたね。」

義持「うむ。満成は幼少より仕えて信じていたが…もうよい、終わったことだ。」

満済「満成が守護をしていた加賀南半国はいかがされますか?」

義持「此度の事は満成個人が仕組んだこと。満成の兄で加賀北半国の守護、富樫満春に任せようと思う。」

満済「それがよろしいかと思います。」





コアラ富樫満春さんはこれで加賀一国の守護になったわけだね。


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富樫氏の家紋・八曜









1419年11月、父の継室・日野康子様が亡くなりました。

康子様と義持とは不仲でした。義持は康子様の死後、康子様が住まいとしていた北山第の解体を決めました。


義持は父の密かな遺言を実行しただけですが、このことは父と義持が不仲であるとさらに世間に掻き立てる結果となりました。




コアラ北山第は全て壊されたんじゃないんだ。舎利殿いわゆる金閣は残されたんだよ。


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金閣です。危うく壊されるところでした。



義持は舎利殿を見ながら、つぶやきます。

「父上…全ては従うことはできませんでした。父上の大切な舎利殿だけは残します。義嗣も民として生かします。」










義持には解決すべき関東との問題がありました。

「上杉禅秀の乱」の後、鎌倉公方持氏殿と甲斐国や常陸国の守護任命で対立していたのです。

この問題には幕府首脳部の守護大名らの意見を聞いて義持は対応していきました。









義持が数々の問題に対している頃、私は山の中で養生をする日々でした…。














つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ