私、足利義満の娘・智子です。
満済殿は兄・義持を補佐し幕政にも関与して黒衣の宰相とも呼ばれました。
義持の側近である満済殿は時には義持にも意見をします。
満済「御所様、富樫満成に関しては持ち上げ過ぎでしたね。」
義持「うむ。満成は幼少より仕えて信じていたが…もうよい、終わったことだ。」
満済「満成が守護をしていた加賀南半国はいかがされますか?」
義持「此度の事は満成個人が仕組んだこと。満成の兄で加賀北半国の守護、富樫満春に任せようと思う。」
満済「それがよろしいかと思います。」
1419年11月、父の継室・日野康子様が亡くなりました。
康子様と義持とは不仲でした。義持は康子様の死後、康子様が住まいとしていた北山第の解体を決めました。
義持は父の密かな遺言を実行しただけですが、このことは父と義持が不仲であるとさらに世間に掻き立てる結果となりました。
義持は舎利殿を見ながら、つぶやきます。
「父上…全ては従うことはできませんでした。父上の大切な舎利殿だけは残します。義嗣も民として生かします。」
義持には解決すべき関東との問題がありました。
「上杉禅秀の乱」の後、鎌倉公方の持氏殿と甲斐国や常陸国の守護任命で対立していたのです。
この問題には幕府首脳部の守護大名らの意見を聞いて義持は対応していきました。
義持が数々の問題に対している頃、私は山の中で養生をする日々でした…。
つづく…

