私、足利義満の子・智子です。
1419年、私は河内で富樫満成を殺害しました。
満成も武士、私は反抗される前に一思いに刺しました。
満成の死顔は恨みがましい形相で私を睨んでいました。
私の手は血だからけになり、
「あぁぁ、人を…殺した…」
とガタガタ震え出しました。
そこへ間者の小百合が現れ、
小百合「智子様、この場を早く去りましょう。畠山満家様の兵が来ます。」
私「……あっ、小百合…。」
震える私は小百合に支えられ、河内より逃げ去ります。
小百合は私を京の外れの山小屋へ連れて行きました。
小百合「智子様、しばらくはここで養生しましょう。私は義持様の元へ参りますが、すぐ戻りますから。」
そう言うと小百合は配下の間者に私を託し京へ向かいました。
京へ着いた小百合は義持に会いました。小百合からの報告を聞いた義持は悔やんだ様子だったそうです。
義持「智子は自ら手を下したか…小百合、智子の側にいてやってくれ。」
小百合「かしこまりました。」
義持「義嗣の騒動はこれで終わりだ。しかし、まだ関東のことが残っておる。…さぁ、小百合、行くのだ。」
この頃、「上杉禅秀の乱」の後処理を巡り鎌倉公方の持氏殿と義持との間で対立が生まれていました。
さらに父・義満の継室、日野康子様が亡くなりました。
義持には片付けなければならない問題が山積みだったのです。
そんな義持を補佐したのが満済殿でした。
満済殿は父の猶子であり、父の名の一字から満済と名乗りました。
また、三宝院の門跡となり、醍醐寺の座主も務めました。
満済殿は義持に意見もしました…。
つづく…。

