私、足利義満の娘・智子です。
1416年、関東で起こった上杉禅秀殿の反乱に通じていたと疑いのある異母兄・義嗣は京を出奔しましたが、兄・義持の側近に捕らえられ相国寺に幽閉されました。
義嗣は出奔した理由を「領地に不服がある」とか「出家したい」と曖昧なことを並べています。
やがて、義嗣の側近である山科教高殿らも捕らえられ、義持の側近・富樫満成殿が尋問をしました。
その尋問で、義嗣の側近らは恐るべきことを白状したのです。
やはり義嗣は上杉禅秀殿と連携して義持に反逆することを企てていたのです。
義持「やはり謀反であったか!義嗣め。満成、さらに詳しく調べよ!」
満成「お任せ下さりませ。」
この事件の対応で幕府首脳部では、どうすべきか話し合われていました。
「謀反とわかった以上、義嗣様には切腹して頂くしかない。」
「いや、そんな軽々しくな処分を決めてはならん。」
「義嗣様に加担している大名がいたら、どうするのだ。」
なかなか結論は出ず、時ばかり過ぎていきました。
しかし!
幕府首脳部が心配していたことが現実になってきたのです。
義嗣の側近らは義嗣の謀反に斯波義教殿、細川満元殿、赤松義則殿らが同調し挙兵する手はずだったというのです。
私はその報せを聞き、義持に会いました。
義持「智子、報せを聞いたろうが…やはり父の危惧したとおり義嗣を担ぐ大名が出てきたぞ。」
私「兄上!待ってください。まだ大名らが義嗣に加担したかの事実はわかりません。」
義持「ん?早速調べておるのか?」
私「はい。小百合を走らせ大名らを調べております。私はこれより義嗣殿の元へ参ります。」
義持「頼むぞ。出来れば事を大きくはしたくない。」
私は間者の小百合と手分けして事実を調べに走りました。
翌1417年、上杉禅秀殿の反乱は幕府の支援を得た鎌倉公方・足利持氏殿により鎮圧されました。
その頃、私は義嗣に会い事実を知りました…。
つづく…
