私、足利義満の娘・智子です。
大内義弘殿を討伐した父に抵抗できる勢力は排除されました。
1401年、父は以前から正式な通交を求めていた明より日本国王に冊封されました。
この頃、兄・義持は権大納言に昇進していましたが、喜んではいなかったようです。
義持「天皇様がおられるのに日本国王を名乗るのは恐れ多いことだ。父上は何がしたいのだ。業子様、そうは思いませぬか?」
業子「義満様は日本国王の称号を得るために天皇様の臣下ではない自由な立場になったのでしょう。日本国王の称号は長年の夢でしたから。」
父は若い頃から明と通交を求めていましたが将軍の立場は天皇様の臣下なので明からは相手にされませんでした。
父は南北朝合一を果たし国内では随一の権力を持っていましたが、明は天皇様の臣下と見ていました。
父は将軍職を辞め、その後に就いた太政大臣をも辞め出家し天皇様の臣下でない立場で、ようやく明に認められたのです。
義持「わしの将軍の立場は何なんだ…?今の世は全て父上の言いなりではないか⁈ 」
兄は思い悩む日々が続きます。
同じ1401年、私は4歳ながら三時知恩寺に入りました。
私はこのお寺の開山住持となったのです。
三時知恩寺は元は崇光天皇様の御所の入江殿を改めたお寺です。
わずか4歳の私が開山住持になれたのは、やはり父の力であったと思います。
もう1人の兄・春寅も1403年に青蓮院に入ります。
父は仏教界でも力を振るっていたのです…。
つづく…

