私、足利義満の子・智子です。
私が生まれた翌年の1398年から母・藤原慶子は体調が優れず弱り衰えていきます。
父は室町御所から新たに造営した北山弟に移り住みました。
母と私と兄の義持や春寅は父の正室・日野業子様とともに室町御所に残りました。
そして1399年になり、母の体調はますます悪くなるばかりです。
そんな母に赤子だった私は覚えいませんが兄らとともに母の病床に呼ばれました。
義持「母上、お具合はいかがですか…?」
母「今日は楽なんですよ。義持…私は長くないでしょう。」
義持「何を申されます。いい薬師を呼んでますから必ず治ります。」
母「ありがとう、義持。父上の後を継ぎ立派な将軍になるのですよ。」
義持「はい、父上は私の官位を上げてくれています。感謝しています。」
母「そして春寅、智子のことを守ってあげてね…。春寅、智子…業子様のことをよく聞き、兄妹仲良くするのですよ。」
……そして1399年6月、母は亡くなりました。享年42。
義持は大いに悲しみ、等持寺に閉じ籠ってしまいました。
しかし、父は家臣の赤松氏の居館で大酒を飲んでいたそうです。
さらに忌中にもかかわらず北山弟で酒宴を行っていました。
この父の行動を聞いた義持は、
「母が亡くなったのに…酒を飲み、酒宴まで開くとは……父上は何を考えているんだ!」
と父のことを不信に思うようになりました…。
つづく…
