俺らは義満の子 〜異母兄〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次


私、足利義満の娘・智子です。


1386年3月、私と母を同じとする兄・義持が誕生しました。

兄の幼名は…伝わっておりませんので春王と仮にします。

コアラ義持さんの幼名はわからないから義満さんの幼名と同じ春王とここでは創作しますね。
智子さんと春王の母は藤原慶子さんだよ。



兄・春王は生まれて、まもなく母から離れ父の正室・日野業子様に育てられました。

父と業子様の間に生まれた子は早世しています。


生まれた我が子を手放さなければならないとは母・藤原慶子の気持ちは身を引き裂かれる思いだったでしょう。






実は春王には母の異なる兄が2人いました。

女好きの父は加賀局様との間には1381年に尊満様、1385年に宝幢若公様が生まれています。

コアラ宝幢若公ちゃんは3歳で亡くなったんだ。かわいそう…。


異母兄がいたにもかかわらず、春王は嫡男の扱いを受けました。


母親の身分が春王を嫡男としたのでしょう。


異母兄の尊満様は1392年に青蓮院に入り、1393年に出家しました。

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青蓮院


コアラ尊満さん、後に起こった足利家の問題でも名前は上がってこなかったんだ。当時は母親の身分というのが重要だったんだね。









1391年、父は山名氏が起こした「明徳の乱」で11ヶ国の守護だった山名氏を討伐しました。

山名氏は11ヶ国から3ヶ国に守護領国を削られます。


「明徳の乱」は父の将軍の権力を示した結果になりました。


そして翌1392年、父は2つに分かれていた朝廷を1つにする南北朝合一を成し遂げたのです。

コアラ南北朝合一にあたって「明徳の和約」が結ばれたんだ。これが後々に春王くんを悩ますことになるんだけどね。

南北朝合一により南朝の後亀山天皇様は退位し北朝の後小松天皇様が唯一の帝となりました。

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後小松です。将軍のおかげでようやく朝廷が1つになり、嬉しい限りだ。









そして1394年には2つの出来事がありました…。










つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ