私、足利尊氏の妻・登子です。
1364年より私は体調を崩し床につくことが多くなりました。
私は死期を悟り身体の動く限り、我が子の義詮や基氏、孫の春王に私の思いを伝えました。
義詮と春王を呼び、
私「義詮、九州の状況はどうですか?」
義詮「懐良親王の勢力が思いのほか強く九州だけは平定が進みません。」
私「でも九州以外はほぼ平定したではありませぬか。じっくり構えれば九州も時間が解決するでしょう。」
私「義詮、鎌倉の基氏とは兄弟助け合ってくださいね。父上と直義殿が争ったようなことだけはならないようにお願いしますよ。」
義詮「はい。心得ました。」
私「春王には優れた補佐をできる方をつけてください。春王は大きな器量を持っています。それが幕府を、良き世を作ることに繋がりますよ。」
春王「おばば様、春王も頑張るから早く良くなって。」
春王は私を大切にしてくれて、また義詮の側室の子でありながら正室の渋川幸子殿を大事にする優しい孫でした。
基氏にも会いたいのですが、基氏は遠く離れた鎌倉。文にて伝えることにしました。
年が明けて1365年、私の体調は一時は快方に向かいました。
しかし…6月、私は倒れ危篤に陥りました。
私は意識が薄れゆく中で様々なことが走馬灯の様に巡っています。
私を育ててくれた兄・赤橋守時、私を生涯守ってくれた茜、敵ながら良き世を作ることを託してくれた護良親王様、楠木正成様、楠木正行殿。私より先に逝ってしまった我が娘・頼子、真っ直ぐで本当は兄思いだった足利直義殿…様々な方が浮かんできました。
そして最後に…私の大切な人、優柔不断でしたが勇ましく私を大事にしてくれた夫・足利尊氏。
夫「登子…待っていたぞ。さぁ、一緒に行こう。」
私「はい、殿…。」
義詮「母上ぇ!」
春王「おばば様ぁー!」
1365年6月2日、私は逝きました。享年60です。
私は夫の墓所のある等持院に埋葬されました。
夫と私が目指した良き世は孫の春王、義満の時に桜の花のように開きました。
皆様、3ヶ月ちょっとにわたる歴史連載「私の夫は優柔不断」。
いかがでしたでしょうか。私の語りで進めてまいりましたが、今回で終了です。
お楽しみに頂ければ幸いです。
語りは私、足利尊氏の妻・登子でした。
完

