私、足利尊氏の妻・登子です。
1358年6月、夫が死去しました。墓所は京の等持院、鎌倉では長寿寺に置かれました。
私は夫の死後、出家しました。そして皆は私のことを「大方殿」と呼ぶようになります。
私は悲しみに暮れていましたが嬉しいことがあります。
夫が亡くなり100日後、義詮に男子が誕生しました。
幼名を春王といい、後の足利義満です。
義詮は征夷大将軍に任命されます。そして南朝方の勢力を倒すべく、河内や紀伊に出兵し赤坂城を落とすなど優位に進めていました。
しかし、幕府内部での権力争いが絶えず、1361年、有力守護大名の細川清氏殿が南朝方に付いてしまい、京を攻めてきます。
義詮は京を追われ近江国へ、私や春王も播磨国へ逃れました。
播磨国では赤松則祐殿の元で避難しました。
翌年、義詮は京を奪還したので私らも帰京します。
帰京の途中、摂津国の辺りで春王は、
春王「おばば様、見てください。何と綺麗な景色ではありませぬか?」
私「本当ですね。見事な景色です。心が落ち着きますね。」
夫が亡くなってから、こんな綺麗な景色を見るのは久しぶりでした。
すると春王は家臣に命じます。
春王「ここの景色はよいから、京へ持って帰ろう。お前たち担いで行くのだ。」
私「まあ、春王ったら(笑)」
景色を持って帰ることはできませんが、家臣たちは幼少でありながら、その立派な心の大きさに感心しておりました。
帰京後、有力守護大名が幕府に帰参し義詮の政権は安定してきます。
しかし、1364年辺りから私は病気がちになりました…。
つづく…

