私、足利尊氏の妻・登子です。
「直義と戦う!」
夫はついに決断しました。その目はギラギラとしていました。
夫は義詮とわずかの家臣、そして私を密かに呼びます。
その場には佐々木道誉様と播磨国の赤松則祐様もいました。
夫「登子、また丹波に避難してもらうことになるぞ。」
私「はい。殿!」
そして事は動き出します。
1351年夏、近江で佐々木道誉様が、播磨で赤松則祐様が南朝方に通じ夫から離反したと報せが入ります。
その報を受け夫は近江に、義詮は播磨に出兵しました。
私は南朝方から京が攻められる前に丹波へ避難しました。
全ては夫の作戦なのです。
京にいる直義殿を東西から挟み撃ちにするための偽りの出兵でした。
直義殿のところには佐々木氏と赤松氏の離反の報せは入らず、直義殿は不信に感じます。
「これはわしを挟み撃ちにするための偽りではなのか…。」
事態を悟った直義殿は味方の武将らと共に北陸へ逃亡しました。
さらに直義殿は信濃を経て鎌倉へ入ります。
鎌倉には私の子、光王(後の基氏)がいましたが直義殿の軍勢が迫り武蔵国の入間川に避難しました。
直義殿がいなくなった京に夫、義詮そして私も戻ります。
ここに京に夫と義詮、賀名生に南朝、鎌倉に直義殿と3つの勢力が分かれました。
夫は直義殿を討つために今まで考えられなかった行動に出ます。
それは南朝方との和議でした…。
つづく…

