私、足利尊氏の妻・登子です。
1336年、京を制圧した夫は戦を終結するため後醍醐天皇様に和議を申し入れました。
夫から和議を申し入れたのは後醍醐天皇様の顔を立てるためでした。
この和議に後醍醐天皇様は応じ京へ戻ってきました。
しかし、後醍醐天皇様は京へ戻る前に密かに新田義貞様に皇太子の恒良親王様、尊良親王様を奉じて北陸へ下るように命じていたのです。
これは後醍醐天皇様が足利との和議で京に戻ることを知らなかった新田義貞様が怒り、それを抑えるために行った後醍醐天皇様の咄嗟の策でした。
京に戻った後醍醐天皇様は光明天皇様に「三種の神器」を譲り上皇となりました。
ようやく帝が1人となり夫はひと安心して、私も京に入ることができました。
その後、夫は建武式目なる新しい武家政権の基本方針を定めました。
さらに夫は権大納言に任じられ、ここに新しい幕府が誕生しました。
ただ夫はこの頃、全てを弟の直義殿に任せようとしていました。
私は不安になり夫に尋ねました。
私「直義殿に全てを任せるとはどういうことですか?」
夫「幕府も出来て戦も無くなろう。幕府の運営は直義に任せたいのだ。」
私「殿は隠居されるおつもりですか?」
夫「そうしたいが、それでは武士らが納得すまい。戦があるうちは幕府の長としているつもりだ。」
私「では千寿王はどうなります?千寿王は殿の後継ぎ。直義殿に幕府を任せられては…。」
夫「まだそれは先のことだ。まずは戦を無くし幕府を安定させねばならん。」
これでは私の不安は拭いきれません。一抹の不安を私は抱えました。
その年も暮れにせまり、一大事が起きました。
幽閉されていた後醍醐上皇様が京を脱出したのです…
つづく…
