私、足利尊氏の妻・登子です。
1336年、夫率いる足利軍は摂津国湊川で新田、楠木軍に勝ち、ついに京へ入りました。
後醍醐天皇様は比叡山に逃れました。
後醍醐天皇様は持明院統の光厳上皇様も連れて行こうとしましたが、夫が救い出します。
光厳上皇様と弟の豊仁親王様は東寺に入りました。
そして光厳上皇様の院宣で豊仁親王様は帝に即位しました。
光明天皇様の誕生です。
光明天皇様の即位は夫は後醍醐天皇様を真っ向から否定したことを現した形となりました。
私はまだ混乱する京には戻らず丹波国に避難したままです。
混乱する京では比叡山の後醍醐天皇様方が京奪回の戦いを仕掛けてきました。
この戦いで後醍醐天皇様方であり、後醍醐天皇様の隠岐島脱出で功績のあった名和長年様が足利軍の兵に討たれ亡くなりました。
名のある武将が討たれ夫は胸の内で「戦から離れたい」と思うようになっていたようです。
夫は、
「このままでは戦は終わず、良い世は作れない…。」
と思い、ある手段に出ます。
それは後醍醐天皇様との和議でした…
つづく…
※当ブログの連載をなるみさんのブログで紹介して頂きました。⬇️
なるみさん、ありがとうございます。


