私の夫は優柔不断 〜正成死す〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私、足利尊氏の妻・登子です。

1336年、九州から東へ上る夫の足利軍とそれを迎え討つ新田、楠木軍は摂津国湊川で激突しました。


私は丹波国で間者のからの報せを待ちました。

そして、

茜「御台様、ただいま戻りました。」

私「茜!戦は、殿はご無事ですか?足利は?」

茜「殿はご無事でございます。足利は湊川で新田、楠木軍に勝ち、さらに京へ向け進軍しております。」

私「勝ちましたか。…楠木正成様はいかがなりました?」

茜「…楠木正成様は自害されました。」


足利軍は陸を進む軍勢と海路を進む船団の軍勢で進みました。


コアラ陸の足利軍は尊氏さんの弟・直義さんが指揮したんだよ






新田軍は足利の船団に惑わされ、東へ走り、結果、楠木軍は戦地に孤立してしまいます。

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コアラ足利さんの船団の1つの船に「錦の御旗」が掲げられていて、義貞さんはその船の動きに惑わされたんだね。正成さんの軍はわずか700しかいなかったそうだよ。

正成様は懸命に戦いましたが、兵力は如何ともし難く楠木軍は壊滅。

正成様は弟の正季様ら一族とともに自害されました。

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楠木正成です。精いっぱい戦いました。

夫は正成様の首を河内国の遺族のもとへ送り届けたそうです。

夫としては正成様の死は複雑な思いだったのでしょう。



新田義貞様は西宮から引き返し足利軍と戦いましたが、敗北し京へ退却しました。


京の後醍醐天皇様方は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなり、比叡山へ逃れました。


夫は光厳上皇様を奉じて京に入りました…










つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ