私の夫は優柔不断 〜義貞上洛〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️


私、足利高氏の妻・登子です。

鎌倉幕府滅亡後、上洛をせず足利を敵視していた護良親王様を後醍醐天皇様は征夷大将軍に任じられました。


コアラ征夷大将軍って武家がなるようなイメージがあるね。でも鎌倉時代には皇族の方がなってる例もあるよ。でも鎌倉時代の皇族の将軍は北条氏の傀儡だったけどね。

これにより護良親王様はようやく上洛しました。

しかし足利氏は護良親王様に敵視されるようなことはしていません。

どうやら護良親王様に足利氏を敵視するように仕向けた方がいたようで、その方が護良親王様に讒言をしたようです。

コアラこの方って殿法印ってお坊さんでしょう。殿法印の配下の兵が悪さばかりして足利氏に捕まって処刑されたんだよね。殿法印ってこれを恨んで護良さんに嘘ばかり言って足利を敵視させたらしいよ。


その頃、鎌倉にいた新田義貞様は一族率いて上洛しました。

私は元は北条一門の赤橋家の出身なので詳しくはわからなかったのですが、当時の新田氏は足利氏に従う関係にあったようです。

それは鎌倉時代に新田氏が没落し足利氏を頼った過去から続いているようです。

新田義貞様が上洛する前に足利氏と新田氏の家臣同士の揉め事が起きていましたが、そのことを足利一族の細川和氏ら細川三兄弟が新田氏側に非があると判断し義貞様に詰問しました。

義貞様は非を認め、その後上洛しています。

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鎌倉にいると足利と揉めてばかり。京に行って恩賞をもらおう~っと。

義貞様も恩賞を求めるために上洛を急いだこともあると思います。

これにより足利が鎌倉を治めることになりました。


しかし私も千寿王を連れて夫のいる京へ行きたいと思っていました。

今は叶わぬことですが…。


新田一族が上洛した京では先の戦の恩賞が与えられていました。

そしてある女官が夫に近づいていました。

それは…阿野廉子様です。
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つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ