私の夫は優柔不断 〜楠木軍500〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私、足利高氏の妻・登子です。

1331年、後醍醐天皇様に呼応して河内国で挙兵したのが楠木正成様でした。

正成様は河内国の赤坂城に立て籠もり幕府軍に抵抗しました。

この時、正成様の軍はわずか500、かたや幕府軍は20万を超える兵数です。

幕府軍には夫が率いる足利軍もいました。


コアラハッ500と20万じゃ戦う前から勝敗は見えてるじゃない。正成さん、無謀じゃないかな~。

しかし幕府軍は苦戦します。

赤坂城は城といっても山を切り崩し、断崖の上に櫓を組んだ粗末なものでした。

コアラ当時の城は山城がほとんど、天守閣のある城の登場は戦国時代以降だね。

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下赤坂城跡

楠木軍は城壁を登ってきた幕府軍を引きつけて…!、大木や岩を落としたり熱湯をかけたりしました。

あちこちから崖より落ちていく幕府軍の兵の叫びが響きます。

「岩がぁ~落ちてきたぁ~!」
「あっ!あち!あち!熱いって!」
「おのれ、楠木…うわぁぁ~!」



平地での騎馬戦を得意とする坂東武士の幕府軍は大苦戦。

コアラ楠木軍は熱湯だけじゃなく…小便もかけたそうだよ。くせ~っ!(お食事中でしたらすいません)



夫はこのような戦い方を初めて見たそうです。
「わずかな兵なのに…」


幕府軍は力攻めを止め、兵糧攻めに切り替えました。

コアラ兵糧攻めって食糧の補給の道を断つやり方だね。そうすれば城内には食糧がこなくなり、食べるものがなくなり戦闘力が落ちるもんね。

兵糧攻めには楠木軍も困りました。

楠木軍は赤坂城に火をかけて、正成様は自害しました…。

しかし、自害は見せかけで正成様は逃亡したのです。

こうして赤坂城は落ちました。


この戦いで夫はさしたる活躍はなかったようですが、後に聞いた話によると

「楠木殿は逃げたのか?無事であればよいが…」

と思ったそうです。


夫の足利軍は他の軍より先に鎌倉へ戻ってきました…。






つづく…。
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ