私の夫は優柔不断 〜乱の始まり〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私、足利高氏の妻・登子です。

京で後醍醐天皇様は再び討幕の計画を側近らと進めていました。

しかし、1331年、その計画が発覚。六波羅探題は後醍醐天皇様のいらっしゃる御所へ向かいますが、後醍醐天皇様は御所を脱出しておりました。

後醍醐天皇様は山城国笠置山で挙兵しました。

コアラ山城国って今の京都の南部辺りになんだ。

これに呼応して後醍醐天皇様の子・護良親王様や河内国の楠木正成様が挙兵しました。


コアラ!護良親王さんは日頃から武芸を好む皇子なんだよね。

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私が護良親王、父と共に幕府を倒すぞ!

楠木正成様、私はお会いできませんでしたが夫は尊敬していたようです。

これが乱の始まりでした。

コアラこの乱を時の元号から元弘の乱っていうんだ。

鎌倉の幕府では京へ兵を送ることにします。

その中に足利氏も入っていました。

この頃、足利氏は父・貞氏様が亡くなられ喪中でした。

夫は
「喪中であるので今回の出兵は辞退させていただきたい」
と申し出ましたが、幕府には許されませんでした。

この時、夫は北条氏に対して反感を抱きました。

「北条には兵がまだいるではないか!喪中の我が家がなぜ行かねばならないのだ!」

しかし、幕府の命には逆らえず夫は出陣しました。
足利氏には北条氏に逆らうほどの勢力はまだなかったのです。


この出兵には足利氏のほかに北条一門の大仏貞直様、金沢貞冬様の軍もいました。


この出兵で夫は見たことのない戦いを見たのです。

その戦いをしたのが楠木正成様でした…。






つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ