私の夫は優柔不断 〜千寿王誕生〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️


私、足利高氏の妻・登子です。

前回で高氏様に嫁ぎました。

そして1330年、私は子を生みました。

とても元気な男子です。

名を千寿王といいます。

コアラルンルンめでたい~めでたいね。この千寿王ちゃんが後の足利義詮さんだね。



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私が父・足利高氏と母・登子の間に生まれた千寿王こと足利義詮です。

夫には長男で側室の子・竹若丸がいましたが後を継ぐ嫡男は正室である私の子・千寿王でした。

コアラそうだね。過去、北条氏の娘が足利氏に嫁いで、生まれた子が長男でなくても後継ぎになっているね。
三代目・義氏さんや四代目・泰氏さん、五代目・頼氏さんだね。

この頃は私には北条氏という後ろ盾があったのです。

しかし、この状況は変わり私は変わっていきますがそれは後々のこと…。


足利氏にとって千寿王誕生は誠に喜ばしいことでした。

しかし、その後、父上様である足利貞氏様が病で倒れてしまいます。

この時、貞氏様は足利氏の当主の座にいましたが、ついに夫・高氏に譲ることを決心されました。

北条氏と縁を結び、さらに千寿王が誕生したことが決心を促したようです。


ただ…貞氏様は夫にある遺言を話されていました。
これは後に夫より私が聞いたことです。当時は全く知りませんでした。

貞氏様が話した遺言とは、

「足利は源氏の棟梁、北条が悪政をするなら北条に変わり天下を取るのだ。わしはそれが出来ず家名を保つことしかできなかった。
高氏!わしのように迷うな!」

コアラガーンこれって討幕しなさいって言ってよね。貞氏さんも我慢し続けたんだね。

北条一門の赤橋家から嫁いだ私には当時に知れば大変な内容でしたね。


何はともあれ、夫が足利氏の当主となりました。

そして1331年、父上様は亡くなりました…。


時を同じくしてあの方が動き出しました。

そう、後醍醐天皇様です。






つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ