外伝「生き抜く足利」・新田氏の没落④ | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️


コアラ新田氏は足利氏当主の諱を頂いてるってどういうことかな?

新田政氏足利氏当主の名前から頂いて、元服の際、足利氏を烏帽子親としています。

つまり新田氏は足利氏に庇護されているのです。

コアラハッガーン!新田は足利を頼らないと生きていけないんだね。



残っている史料によると鎌倉幕府末期の頃には新田氏は足利氏の庶家のように見られていました。


新田氏は政氏の後、基氏朝氏義貞と引き継がれていきました。

新田義貞足利高義の字を頂いています。

コアラ足利高義さんは足利尊氏さんのお兄さんだね。確か若くして亡くなったんだよね。

高義に関してはこちら⬇️







義貞の頃は新田氏の幕府における地位は低くく、北条得宗家・北条高時は義貞のことを「貞義」と間違えるほどでした。



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私が新田義貞を貞義と間違えた北条高時でぇ~す。



新田義貞が鎌倉幕府を倒すため、新田荘にある生品神社で挙兵した時、わすが150騎でした。

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生品神社

その後、各地から参戦した軍勢を加え7,000騎まで増えました。

さらに足利尊氏の嫡男・千寿王(後の足利義詮)の手勢200と合流します。
すると各地から膨大な数の兵が集まってきました。

「古典・太平記」はその数を20万騎としています。

コアラもやもやえーっ!20万騎はいいすぎじゃない?でも大量の兵が来たのは確かみたいね。

兵らは新田ではなく源氏の棟梁・足利氏を慕って集まってきたのです。

新田義貞は後にこのことに深く傷つくことになります。





鎌倉幕府は倒れ、こうして新田氏は鎌倉時代を生き抜きました。

辛うじて生き抜いた…といった新田氏でした。


コアラ鎌倉幕府が続いていたら…新田氏は危なかったね。


この後、新田宗家は足利氏と争い滅んでいきます。

しかし、新田氏の庶家が残っていきました。


終わり…次回作をお楽しみに~コアラバイバイ



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