父・新田政義の失態で新田氏惣領職を失った新田宗家の新田政氏は我慢するしかありません。
さらに新田宗家の所領が没取され、その所領が北条得宗家に渡り、荘内に得宗家の被官が進出してきます。
新田氏の没落は決定的となりました。
ところが1272年に起きた二月騒動に惣領職を継いだ世良田氏の世良田頼氏が連座して失脚しました。
二月騒動に関しては「生き抜く足利」のこちらをご覧くださいね⬇️
頼氏は佐渡へ流罪となり新田氏惣領職は新田宗家に戻ってきました。
「よかった~これで宗家の立場が保てるぞ。世の中、何が起きるかわかんないな」
政氏はひと安心です。
さらに政氏は赤橋秀時の娘を正室に迎えます。
めでたいことだね。赤橋秀時さんは北条氏の一族だね。後に足利尊氏さんも赤橋さんから正室を迎えているね。この新田氏と北条氏との婚姻は北条氏が新田氏を見張るためかもしれません。
惣領職に復帰したとはいえ、新田氏の幕府における地位は低いものでした。
政氏は新田を守ろうと自らの娘を時の足利氏の当主・足利家時の側室に出しました。
政氏以降、新田宗家の当主の名前には氏が付いています。
これは足利氏の時の当主の諱(いみな)を頂いていました。
つづく…
次回をお楽しみに~
