新田宗家の4代目当主新田政義は足利氏の当主足利義氏の娘を妻に迎えていました。
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新田政義は1244年に京都大番役で京にいました。
在京中に政義は幕府に無断で朝廷に昇殿と検非違使の任官を求めました。
かつて源義経が兄の源頼朝に無断で任官し頼朝の不興を買いました。
頼朝は武士をまとめるために任官は幕府の推挙があってからと決めていたのです。
政義の行動は軽率でした。
朝廷は幕府と揉め事を起こしたくないので当然、政義の申し出を拒否します。
政義は、
「もう大番役なんかやってられない!国に帰る~」
なんと、これまた無断で出家し大番役を中止して新田荘に帰ってしまいます。
無断で任官を求めたり、無断出家したりと大罪を犯した政義でしたが、処罰は死罪にはなりませんでした。
これには政義の妻の実家である足利氏の働きかけがあったからです。
しかし政義は領地の一部没取と新田氏惣領職の没取となりました。
なんと新田宗家なのに惣領職を失ったのです。
新田氏惣領職は庶家の世良田氏と岩松氏が分割して行うことになりました。
「ワシの軽率な行いで、とんでもない事態になってしまった…」
悔やんだ政義は隠居し、1257年に71歳で亡くなります。
新田宗家を継いだのは政義の子・新田政氏でした。
つづく…
次回をお楽しみに~
