外伝「生き抜く足利」・新田氏の没落② | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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新田宗家の4代目当主新田政義足利氏の当主足利義氏の娘を妻に迎えていました。

コアラ足利義氏は執権北条氏と密接な関係で鎌倉時代での足利氏の全盛期を築いた人だよね。

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新田政義は1244年に京都大番役で京にいました。

コアラ京都大番役って皇居や院などを警護する役目なんだ。でも地方武士にとっては大きな負担なんだよね。お金もかかるし…。



在京中に政義は幕府に無断で朝廷に昇殿検非違使の任官を求めました。

コアラハッえっ!それって駄目でしょ⁈

かつて源義経が兄の源頼朝に無断で任官し頼朝の不興を買いました。

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「どうも。兄に怒られた源義経です。」




頼朝は武士をまとめるために任官は幕府の推挙があってからと決めていたのです。



コアラそうかぁ~朝廷から直接任官できるようになると幕府に従う必要がなくなるからね。


政義の行動は軽率でした。

朝廷は幕府と揉め事を起こしたくないので当然、政義の申し出を拒否します。

政義は、
「もう大番役なんかやってられない!国に帰る~」

なんと、これまた無断で出家し大番役を中止して新田荘に帰ってしまいます。


コアラアセアセあちゃーなんてことを…。確か無断出家も違反行為だよね。こりゃ大罪だね。

無断で任官を求めたり、無断出家したりと大罪を犯した政義でしたが、処罰は死罪にはなりませんでした。

これには政義の妻の実家である足利氏の働きかけがあったからです。

しかし政義は領地の一部没取と新田氏惣領職の没取となりました。

なんと新田宗家なのに惣領職を失ったのです。


コアラガーンお~っなんってこったい。でも自業自得だよね。

新田氏惣領職は庶家の世良田氏岩松氏が分割して行うことになりました。


「ワシの軽率な行いで、とんでもない事態になってしまった…」

悔やんだ政義は隠居し、1257年に71歳で亡くなります。

新田宗家を継いだのは政義の子・新田政氏でした。


コアラ継いだのに実権がない政氏さん、この後どうなったのかな?




つづく…コアラ次回をお楽しみに~