生き抜く足利 〜分裂した朝廷〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

足利高氏(後の尊氏)が元服した頃、京の朝廷はどうなっていたのでしょう?


なんと朝廷は大覚寺統持明院統の2つに分裂していたのです。

原因は後嵯峨院が自らの後継ぎをはっきり決めずに崩御したため、後深草院派の持明院統と亀山天皇派の大覚寺統に分かれてしまいました。

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後嵯峨院


この朝廷内の確執を幕府が調停し、皇位を10年毎で交代する両統迭立となりました。



そして…大覚寺統の後醍醐天皇が即位します。

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後醍醐天皇


後醍醐天皇は大覚寺統でも兄の後二条院の子が成長するまでの中継ぎの天皇でした。


後醍醐天皇は不服です。
「即位はしたが…これでは我が子孫は永久に皇位には付けないではないか!」

さらに、
「臣下である武士が皇位継承に口出しするとは…おのれ!北条め!」
と幕府を憎むようになりました。


この頃、幕府は悪党と呼ばれる既存支配体系へ反抗する者らの処置や奥州で起こった安東氏の乱の鎮圧で対応に追われていました。

安東氏の乱は安東氏の内紛で安東氏が2つに分かれて争っていましたが、これを御内人長崎高資

「よしよし、わしがそなたを安東氏の当主にするよう働こう。だから…」

と両方に同じことを言い賄賂をもらいました。


分裂する朝廷、腐敗した幕府…


1323年、北条貞時の十三回忌法要で足利貞氏は230貫文の高額な費用を進上しました。

足利氏はそれだけの力を蓄えています。





そして…


1324年、ついに後醍醐天皇が動きました!





つづく…