生き抜く足利 〜貞時の時代〜 | 歴史を感じよう

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1285年の霜月騒動で勝利した北条得宗家の御内人・平頼綱は幼少の執権・北条貞時を擁して幕府内外で絶対的な権力を振るいます。

頼綱は恐怖政治を行いますが、これに対し成長した貞時は不安になり、ついには頼綱を見切りました。


「いつまでも頼綱の操り人形にされてなるものか!」
貞時は決心しました。



1293年、永仁の大地震が発生しますが、その混乱の中、貞時は頼綱を襲撃しました。

頼綱としては、
「得宗家が権力を握れたのは俺のおかげなのに!」との思いだったでしょう。

頼綱は自害します。



これを平禅門の乱といいます。


実権を取り戻した貞時は得宗家主導の専制政治を強力に推し進めました。


しかし、この頃は2度の蒙古襲来で御家人らは経済的に厳しい状況でした。

蒙古襲来で勝利はしたものの、新たな領地を得たわけでなく金銀が入ったわけでもないので幕府は充分な恩賞を与えることができませんでした。


そんな中、1297年足利貞氏に長男が誕生します。

これが後の足利高義です。
(足利尊氏は貞氏の次男になります。)

母は貞氏の正室・北条顕時の娘でした。


1301年貞時は執権を従兄弟の北条師時に譲り出家しましたが、実権は握ったままでした。

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北条貞時


1305年、嘉元の乱と呼ばれる幕府内の騒乱が起きます。

乱終結後、貞時は政治への関心がなくなり、酒に明け暮れるようになりました。


そして足利氏では…







つづく…