生き抜く足利 〜家時 自害!〜 | 歴史を感じよう

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北条時宗亡き後、有力御家人・安達泰盛と北条得宗家の被官(御内人)・平頼綱の対立が激化しました。

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安達泰盛

安達泰盛は新たな執権・北条貞時の外祖父の立場で幕政を主導します。

泰盛の目指すところは将軍を戴く御家人制度の立て直しでした。

それは得宗家の権力と御内人の権力を抑圧するものです。

御内人である頼綱とは対立して当然です。


足利氏は御家人の1つ、泰盛側に付いたと考えられます。





そして…




1284年足利氏の当主・足利家時自害します。

なぜ、自害したのか?

安達泰盛側に付いたことを北条得宗家に咎められ足利氏を守るために自害したのか?


この翌年の1285年には安達泰盛と平頼綱との武力衝突がありました。

これを霜月騒動といいます。

頼綱側の先制攻撃を受けた泰盛ら安達一族は自害、討死します。

さらに安達側に付いた勢力は討たれました。

この中に足利氏の一族、吉良氏もいました。



足利泰氏が出家した以降、足利氏は北条得宗家に睨まれていたのでしょう。



ただ、家時自害にはもう一つの説があります。


それは源義家が遺した置文がきっかけとなります…




つづく…