泰氏は名越流北条氏の北条朝時の娘を正室に迎え、後の斯波家氏、渋川義顕を儲けます。
この後、北条得宗家(北条氏の嫡流)から五代目執権・北条時頼の妹と婚姻しました。この間に生まれたのが足利頼氏です。
これによりさきに迎えた北条朝時の娘は側室へ追いやられます。
北条氏と縁を結び、和田合戦、承久の乱、この後に起きる宝治合戦で得た恩賞は足利氏の領地を拡大しました。
また、足利氏の一門も増え、北条氏の勢力拡大と平行して足利氏も鎌倉時代での全盛期を築きました。
これだけの一門が足利氏にはありました。
話を戻します。
泰氏が近仕していた鎌倉四代目将軍・藤原頼経は成年に達し自ら政権を行いたいと思うようになりました。
「俺はいつまでも執権の傀儡ではないぞ。反執権勢力を集めて政権を握ってやる。」
また、北条氏の中でも不満分子がありました。
それが名越流北条氏です。名越流は三代目執権・北条泰時の異母兄、北条朝時を祖とし、北条氏の嫡流である北条得宗家への対抗心が強かったのです。
1242年、泰時が亡くなります。
泰時の嫡男・時氏は泰時より先に亡くなっており泰時の後を継いで四代目の執権になったのが時氏の子・北条経時でした。
経時は将軍・藤原頼経の動きに危険を感じ、ある行動に出ます。
つづく…
