その後、義氏は検非違使、陸奥守、武蔵守、左馬頭を歴任し、地位を確固たるものにしました。
1216年には嫡男となる足利泰氏が生まれました。
まさに義氏、絶好調です。
和田合戦の後、1219年とんでもない事件が起きました。
三代目将軍源実朝、暗殺!
右大臣となった実朝が鶴ヶ丘八幡宮で行われた右大臣拝賀式で、甥である公暁に暗殺されました。
このイチョウの木は2010年に強風で倒壊しました。
公暁は二代将軍で実朝の兄の源頼家の子です。
その後、公暁も討たれました。
実朝の死で源氏将軍は三代で絶え源氏嫡流も絶えました。
この事件は陰謀の説があります。
(詳しくは省略しますが、いずれ外伝か何かの形でふれていきます。)
源氏の傍流である義氏はどう思っていたのでしょう?
その後、実朝暗殺で混乱する幕府は新たな鎌倉殿として京の摂関家の三寅(後の藤原頼経)を迎えます。
しかし、幕府としては後鳥羽院の皇子を鎌倉殿として迎えたかったのですが、交渉不調により諦めざるを得ませんでした。
そして…その後……
承久の乱が起きます。
つづく…

