生き抜く足利 〜狂った義兼〜 | 歴史を感じよう

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足利義兼は平家討伐、奥州合戦等々で活躍を果たし1185年上総介に任じられました。

さらに源氏一門として幕府で高い席次を与えられました。

しかし源頼朝の地位が高くなると、御家人として幕下に組み込まれます。

1195年義兼は東大寺において出家をします。

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足利義兼(出家後は義称と名乗りました。)

義兼はなぜ出家したのか?


この頃、頼朝による近しい源氏の粛清がありました。
頼朝の弟・範頼や甲斐武田氏らは粛清されました。

義兼は
「このままでは我ら足利も粛清されるかもしれない…」
と恐れました。

また狂ったふりもしました。
「義兼があれでは足利は駄目だろう」と頼朝の周囲から思われます。

出家や狂ったふり、全ては粛清から逃れる手立てでした。

義兼は足利氏を守ったのです。




その後、義兼は足利の樺崎寺に隠棲し、1199年に亡くなります。


義兼の後を継いだのが義兼の三男・義氏でした。




つづく…