さらに源氏一門として幕府で高い席次を与えられました。
しかし源頼朝の地位が高くなると、御家人として幕下に組み込まれます。
1195年義兼は東大寺において出家をします。
義兼はなぜ出家したのか?
この頃、頼朝による近しい源氏の粛清がありました。
頼朝の弟・範頼や甲斐武田氏らは粛清されました。
義兼は
「このままでは我ら足利も粛清されるかもしれない…」
と恐れました。
また狂ったふりもしました。
「義兼があれでは足利は駄目だろう」と頼朝の周囲から思われます。
出家や狂ったふり、全ては粛清から逃れる手立てでした。
義兼は足利氏を守ったのです。
その後、義兼は足利の樺崎寺に隠棲し、1199年に亡くなります。
義兼の後を継いだのが義兼の三男・義氏でした。
つづく…
