生き抜く足利 〜早過ぎる死〜 | 歴史を感じよう

歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1156年7月、鳥羽院が崩御します。

その後に起きたのが『保元の乱』。

保元の乱は連載「争う一族」もご覧になってみてください。
「開戦直前」から

「投降」の辺りです。


源義康は源義朝とともに後白河天皇側に参戦しました。

義康は兵100騎を従え、後白河天皇方の主力として活躍します。
(軍記「保元物語」には義康の活躍の様子などはありませんでした。)

{A088A64C-C0E9-4523-B017-0319C44E4A6A:01}
保元の乱・白川殿夜討





乱終結後、義康は敵将・平家弘父子を処刑しています。

論功行賞により義康は昇殿を許され、従五位下大夫尉に任官しました。


義康は
「従五位下だ。よーし!さらに頑張るぞ!」
と気合いを入れたことでしょう。

周囲からも将来を嘱望されました。


しかし…

……

1157年7月、義康は病により31歳で亡くなります。

義康の墓所は足利市の「鑁阿寺」にあります。
{0CA15EFD-F388-47E6-99BE-C7D18CB492DC:01}



義康の早世で足利氏はどうなるのでょうか?