その後に起きたのが『保元の乱』。
保元の乱は連載「争う一族」もご覧になってみてください。
「開戦直前」から
「投降」の辺りです。
源義康は源義朝とともに後白河天皇側に参戦しました。
義康は兵100騎を従え、後白河天皇方の主力として活躍します。
(軍記「保元物語」には義康の活躍の様子などはありませんでした。)
乱終結後、義康は敵将・平家弘父子を処刑しています。
論功行賞により義康は昇殿を許され、従五位下大夫尉に任官しました。
義康は
「従五位下だ。よーし!さらに頑張るぞ!」
と気合いを入れたことでしょう。
周囲からも将来を嘱望されました。
しかし…
……
1157年7月、義康は病により31歳で亡くなります。
義康の墓所は足利市の「鑁阿寺」にあります。
義康の早世で足利氏はどうなるのでょうか?

