後白河院の子・以仁王もその一人。
1180年、以仁王は摂津源氏・源頼政の協力を得て各地の源氏に平家追討の令旨を出します。
この令旨を各地の源氏に伝え歩いたのが源義朝の弟・新宮十郎義盛改め行家です。
伊豆に流されていた源頼朝は同地の豪族・北条時政の協力を得て決起します。
頼朝は「石橋山の戦い」では敗戦しましたが安房国に移動してからは諸豪族が頼朝の傘下に加わり大勢力になりました。
(傘下になった主な豪族は三浦義澄、千葉常澄、上総広常、足立遠元、畠山重忠…等々)
かつて父・義朝に従った豪族もおり、義朝が築いた東国での地盤がここにきて生きてきます。
頼朝の軍の東国武士は源氏ではなく、平氏の子孫もいました。
北条氏、上総氏、千葉氏らは東国の平氏でしたが、平家の政権に不満を持っていました。
頼朝は甲斐源氏の武田信義と合流し、「富士川の戦い」で平家と対峙しましたが、平家軍は水鳥の飛び立つ音を兵の襲来と間違え、京に逃げ帰ります。
この後、頼朝は奥州平泉から駆け付けた弟・義経と対面しました。
決起した源氏は頼朝だけではありません。
土佐国に流されていた頼朝の同母弟・希義も決起しようとしましたが希義は討死します。
木曽では頼朝の従兄弟・義仲が決起。平家を「倶利伽羅峠の戦い」等で破り、頼朝より先に京へ入ります。
しかし義仲の入京は長くは続きませんでした。
つづく…

