争う一族 〜義朝の最期〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

平清盛らに敗れた藤原信頼は降伏し出頭します。

信頼は清盛の前で弁明しますが、乱の首謀者であり武装もしていたところから、許されず処刑されました。

東国へ向かった源義朝らは度重なる落武者狩りにあい、次男・朝長は負傷します。

朝長の負傷は深手でこれ以上進むことが出来ず、捕らわれるより死を望み、義朝は涙ながらに我が子を刺し殺しました。

義平は北陸道を目指して義朝と別れました。

頼朝は義朝らから途中はぐれてしまい、捕らえられます。

義朝は尾張国野間にたどり着き、長田忠致、景致親子のもとに身を寄せました。
長田忠致は義朝の家臣・鎌田政清の舅でした。

義朝らは一安心したことでしょう。

しかし…義朝は入浴中に長田親子に襲撃され殺害されました。

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義朝の最期です。享年、38歳。

家臣・政清も酒を呑まされ殺害されました。

義朝は襲撃された時、「我に木太刀一本あれば!」と無念を叫んだそうです。
野間大坊にある義朝のお墓には、多くの木刀が供えられています。

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義朝のお墓

1160年1月9日、義朝の首は獄門にかけまれました。



つづく…