信頼は清盛の前で弁明しますが、乱の首謀者であり武装もしていたところから、許されず処刑されました。
東国へ向かった源義朝らは度重なる落武者狩りにあい、次男・朝長は負傷します。
朝長の負傷は深手でこれ以上進むことが出来ず、捕らわれるより死を望み、義朝は涙ながらに我が子を刺し殺しました。
義平は北陸道を目指して義朝と別れました。
頼朝は義朝らから途中はぐれてしまい、捕らえられます。
義朝は尾張国野間にたどり着き、長田忠致、景致親子のもとに身を寄せました。
長田忠致は義朝の家臣・鎌田政清の舅でした。
義朝らは一安心したことでしょう。
しかし…義朝は入浴中に長田親子に襲撃され殺害されました。
家臣・政清も酒を呑まされ殺害されました。
義朝は襲撃された時、「我に木太刀一本あれば!」と無念を叫んだそうです。
野間大坊にある義朝のお墓には、多くの木刀が供えられています。
1160年1月9日、義朝の首は獄門にかけまれました。
つづく…

