これは国政改革を進める信西が平清盛の武力を必要不可欠とし厚遇したのです。
清盛は信西の子に娘を嫁がせ縁を結んだ一方で藤原信頼の子にも娘を嫁がせていました。
政治力では清盛は義朝に比べ1枚上手でした。
その清盛らが熊野参拝に行った1159年12月、反・信西派は遂に行動を起こします。
12月9日信頼と義朝ら軍勢は院御所・三条殿を襲撃します。
まず後白河院の身柄を確保し、三条殿に火をかけました。そして逃げる者には容赦なく矢を射かけます。
義朝は憎っくき信西を狙っています。
「信西を逃がすな!信西を追え!」
しかし信西一門は危険を察知し既に逃亡していました。
さらに後白河院を二条天皇のいる内裏に移し軟禁状態にします。
まさしくクーデター勃発です。
反・信西派は逃亡した信西の探索を行います。
その頃、信西は…
つづく…
