後白河天皇まで見物に訪れたと言われています。
その豪傑と武勇で処罰は減刑され伊豆大島に流罪となります。ただ二度と弓が弾けないようにと腕の筋を切られました。
伊豆大島に流れた為朝の腕はアッサリ治りました。
そして伊豆諸島を次々と制圧していきます。
鬼の子孫の大男ばかりが住む鬼ヶ島も制圧しました。大男も家来にします。
1170年伊豆諸島を所有する工藤茂光は為朝討伐の院宣を頂き、500騎余りの兵、20艘の船で攻めてきました。
為朝は抵抗しても無駄になると悟り自害しようと思いましたが、
「せめて一矢馳走してやろう」
と300人ほどが乗る軍船に矢を射かけました。
矢は見事に命中し、軍船は沈没したのです。
そして為朝は館に帰り、南無阿弥陀を唱え腹を切って自害しました。
享年32歳。
為朝は様々な伝説を残しました。
為朝は死なずに琉球へ渡り、その子が初代琉球王になったとの伝説があります。
為朝が上陸した場所に石碑が建てられています。
伝説が残るほど武勇の優れた人物、それが源為朝でした。
「保元の乱」が終わり源義朝はどうなったのでしょう?
つづく…

