争う一族 〜投降〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

崇徳院側が逃亡し、戦勝の知らせを聞いた後白河天皇は高松殿に還御しました。

源義朝、平清盛らも帰還し戦闘は終わりました。

逃亡していた崇徳院は出頭しました。(連載「悲劇の上皇」も参照お願いします。)

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崇徳院

藤原頼長は矢が刺さる重傷を負いながら南都に逃げ延びました。南都に逃げていた父・忠実の元に来ましたが、忠実は拒否します。
忠実は乱と無関係を主張するにはこうするしかなかったのです。

頼長はやがて亡くなりました。


源為義は息子たちと東国を目指して再起を図ろうとしますが、
「義朝が助けてくれるはず。義朝の元へ行こう。」
と望みを持ち投降します。

しかし為朝は為義の行動を反対し、行動を共にせず逃亡を続けました。

こうして崇徳院の出頭により、崇徳院側の貴族、武士らの投降が続きます。


崇徳院は讃岐国に流罪となりました。そして二度と京の地を踏むことはありませんでした。

崇徳院側の貴族の多くは流罪、藤原忠実は子の忠通が奔走したおかげで罪には問われませんが、洛北知足院に幽閉されました。


そして武士への処罰は厳しいものでした…それは処刑です。



つづく…