為朝と交え負傷した大庭景義は後年、「無双の弓矢の達人なり」と賞賛しました。
攻めあぐねた源義朝はある策に出ました。
それは”火攻め”です。勅許を得た義朝は白河北殿の隣にある故・藤原家成邸に火を放ちます。(火矢を放ったのでしょう)
火は風にあおられ、白河北殿はたちまち炎上しました。
崇徳院側は大混乱!
崇徳院や藤原頼長らは脱出し行方をくらましました。
義朝や平清盛らが崇徳院や頼長をこの時点で捕らえることができなかったのは、崇徳院側の武士、源為義らが火や敵の矢から守り逃したからです。
崇徳院側の武士たちは踏み止まって再三攻撃を加える敵を防ぎ、最後まで王権を擁護する職務を全うしたのです。
そして為義らも各々に落ちて行きました。
後白河天皇側の勝利です。
つづく…
