争う一族 〜暴れん坊!為朝!〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1153年、京に戻っていた源義朝は従五位下・下野守に任じられました。
河内源氏が国守に任じられるのは義親が任じられて以来50年ぶりのことです。

一介の検非違使にすぎない父・為義を義朝は追い抜いてしまったのです。

焦った為義、
「息子がワシを超えるなど…義朝の勢力を奪ってやるわ!」

為義は次男・義賢を東国へ下向させました。
義賢は一時は嫡男に選ばれましたが、不祥事ばかり起こして嫡男の座を外されていたのです。
(なんと藤原頼長の男色相手だったともいわれています。気持ち悪っ~)

しかし、為義にはさらなる災難が降りかかりました。

原因は為義の八男・為朝です。

為朝は13歳の時、為義に勘当され九州に追放されてしまいます。
しかし、暴れん坊為朝はじっとはしていません。

自ら鎮西総追捕使と称し、九州の豪族らと合戦をして、なんと九州を3年のうちに平らげてしまいました。

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源為朝
2m10㎝もの大男でした。

さらに為朝の狼藉がひどく、ついに朝廷に訴えがあり、為朝に出頭の宣旨が出ましたが、1154年、為朝は従いませんでした。

この為朝の行為により、為義は責任を問われ解官されてしまいます。

「なんてことだ!為朝め!」

為義はほとほとついてませんね。為義が頼りにするのは藤原摂関家のみとなりました。




つづく…