河内源氏が国守に任じられるのは義親が任じられて以来50年ぶりのことです。
一介の検非違使にすぎない父・為義を義朝は追い抜いてしまったのです。
焦った為義、
「息子がワシを超えるなど…義朝の勢力を奪ってやるわ!」
為義は次男・義賢を東国へ下向させました。
義賢は一時は嫡男に選ばれましたが、不祥事ばかり起こして嫡男の座を外されていたのです。
(なんと藤原頼長の男色相手だったともいわれています。気持ち悪っ~)
しかし、為義にはさらなる災難が降りかかりました。
原因は為義の八男・為朝です。
為朝は13歳の時、為義に勘当され九州に追放されてしまいます。
しかし、暴れん坊為朝はじっとはしていません。
自ら鎮西総追捕使と称し、九州の豪族らと合戦をして、なんと九州を3年のうちに平らげてしまいました。
2m10㎝もの大男でした。
さらに為朝の狼藉がひどく、ついに朝廷に訴えがあり、為朝に出頭の宣旨が出ましたが、1154年、為朝は従いませんでした。
この為朝の行為により、為義は責任を問われ解官されてしまいます。
「なんてことだ!為朝め!」
為義はほとほとついてませんね。為義が頼りにするのは藤原摂関家のみとなりました。
つづく…
