争う一族 〜争いだらけの京〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

源義朝が東国で勢力を伸ばして京に戻りました。
(東国は義朝の長男・義平に任せました。)

その頃の京はどうなっていたか?

天皇家では鳥羽院が院政を行っており、天皇は近衛天皇でした。近衛天皇に譲位した崇徳院は政務に携わらさせてもらえず蚊帳の外の状態でした。

藤原摂関家では関白は忠通でしたが、父・忠実が大殿の立場で次男・頼長を可愛がっていました。

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藤原頼長



天皇家、摂関家とも二つに分かれていますね。この時、既にのちに起こる「保元の乱」の火ダネがあったのです。

1147年義朝は正室である熱田大宮司の娘・由良御前との間に男子をもうけます。

それが「源頼朝」です。



由良御前の実家は院近臣でしたので、義朝は鳥羽院に接近することになりました。

義朝の父・為義は摂関家に仕えており、義朝と為義は対立することになります。

藤原摂関家では忠実が忠通に関白の地位を頼長に譲るように迫りましたが、忠通は拒否します。

「ならば藤原氏の長者は頼長じゃ!お前など絶縁じゃ!」

と、怒った忠実は忠通から藤氏長者の地位を剥奪し頼長に与えてしまいました。
そして藤原氏の家宝・朱器台盤を忠通から奪ってしまいます。
この奪ってきたのが忠実の命を受けた為義でした。




つづく…