出雲国に出て、出雲守・藤原家保の目代を殺害し官物を奪いました。
これは朝廷に対する反逆行為です。
父・義家の死去で義親への恩赦の可能性が遠のいてしまいました。
さらに河内源氏は義家の後の嫡男を義家の四男・義忠とし、義親を廃嫡します。
「父は亡くなった!嫡男も外された!俺の好きなようにやるぜ‼︎」
義親は荒れます。
1107年12月、朝廷は義親追討を『平正盛』に命じます。
正盛は伊勢平氏。伊勢平氏は桓武平氏の一つの系統です。
伊勢平氏は平貞盛の血筋です。東国で河内源氏が勢力を拡大し、在地の平氏一門が服従していく中、伊勢平氏の家系は源氏の家人にはならず、伊勢へ下向し朝廷に仕える軍事貴族になりました。
正盛は出雲国の近隣の因幡国の国守でした。さらに所領を白河院の娘・郁芳門院の菩提を弔う六条院に寄進し、白河院の信頼を得ていました。
白河院は、「正盛は使える。義家もいないし、伊勢平氏を使うかの~。」
白河院は軍事貴族のトップを河内源氏から伊勢平氏に変えることを狙っていたのでしょうか?
つづく…

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