1102年2月、義親はなんと!、資通を味方につけ官吏を殺害してしまいます。
義家の親心も義親には通じませんでした。
義親と資通の間でどんなやり取りがあったのかはわかりませんが、資通は義親に同情したのでしょう。
1102年12月、朝廷は義親の隠岐配流、資通の投獄を決定します。
義親は義家の温情で帰京できるはずと考えていたのでしょう。
苦境に立たされた義家は1104年10月弟・義綱とともに延暦寺の悪僧追捕を行います。
義家と義綱、確執は溶けたのでしょうか?
さらに義家を悩ます出来事が起きます。
1106年1月東国に下向していた義家の四男・義国と義家の弟・義光が常陸国で合戦をします。
同年6月、朝廷は義家に義国を召喚を命じます。また、義光には捕縛命令が出ます。
「一体、我が一族の者どもはどうなっているんだ!私をどこまで苦しめるのか!」
老齢の義家は一族の苦境の中…1106年7月亡くなりました。
晩年は一族の争いに苦しんだ義家、死後の河内源氏を思うとなんとか争いを鎮めたかったに違いありません。
義家の死後、一族の争いはさらに酷くなります。
つづく…

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