『争う一族』、今回は清和源氏の系統の一つ「河内源氏」においての一族の争いにスポットを当ててみたいと思います。
河内源氏は源頼信から始まり、頼義、義家と続きました。
勢力を伸ばしてきた一族ですが、義家の代に起こった「後三年の役」あたりから衰退の兆しが見えてきます。
清原実衡の死で一度は治まった清原一族の争いが、清原家衡と清衡の争いで再燃してしまいます。
このことを京の朝廷は源義家の調停が誤ったと見ました。
「せっかく鎮めたのに、また争いおって!」
義家は怒り心頭でしょう。
朝廷は義家の弟・義綱を陸奥派遣を協議するなど、義家に好意的でした。しかし義綱の派遣はありませんでした。
そればかりか「奥州合戦停止」の官史の派遣が決定されます。
朝廷は義家に対し批判的になっていきました。
朝廷としては、義家が国守として事態の収拾を誤った上、官物を京に納めることを怠ったと批判します。
朝廷には批判される、弟・義綱は来ない、合戦に苦戦していた義家にもう一人の弟・義光が駆けつけました。
「兄上!兄上のピンチに官職を辞して駆けつけました!」
義家は感動したことでしょう。
義綱はなぜ来なかったか?
京で義家の批判が高まっていることを感じ、義綱自身が河内源氏の嫡流になれると考えたと思います。
「義家兄が没落すれば我が嫡流だ!」
兄弟の争いは後三年合戦が終わる前に始まっていたのです。
つづく…

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