しかし、難攻不落といわれた金沢柵は中々落ちません。
そこで連合軍に付いていた吉彦秀武が兵糧攻めを提案します。
(兵糧攻めとは、敵の食料補給路を断ち戦闘力を弱める戦法)
金沢柵を包囲したまま、秋から冬になり柵内では食料が少なくなり飢餓に苦しみます。
家衡の守り役・千任というものがいました。千任は義家に向かって「前九年の役では我が清原氏に頭を下げ加勢してほしいと言ったくせに、その恩を忘れ子孫を攻めるとは何事か!」と罵倒しました。
「おのれ!千任!」
義家の怒りは後に復讐に変わります。
飢餓に苦しむ女子供が投降してきます。義家は一旦はこれを助命しようとしますが…
これを見た柵内にいるものは恐怖し、降伏できなくなります。
義家は柵内から人を出さずにいれば食料を早く食い尽くすと考えたのです。
食料が無くなり、とうとう家衡・武衡は金沢柵に火をつけ敗走しました。
しかし、武衡は近くの沼に潜んでいるところを捕らえられ斬首されました。
千任も捕らえられました。義家は千任の手を後ろで縛り木に吊るします。そして千任の足元に千任の主君・武衡の首を置きました。
千任は首を踏まないよう、最初は足を上げていましたが、やがて力尽き首を踏んでしまいます。
義家の恐ろしい復讐です。
家衡は下人に身をやつし逃亡を図りましたが、やがて討ち取られました。
戦いが終わったのは12月でした。
つづく…

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