平氏から源氏 後三年の役〜残虐な家衡〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

清原真衡は出羽に進軍中に病で急死しました。タイミングよく急死とは、本当に病だったのでしょうか?

大河ドラマ『炎立つ』では暗殺でしたね。


源義家は真衡亡き後の奥六郡を清原家衡と清衡の2人に三郡ずつに分けて与えました。

しかし、家衡はこの裁定に不満でした。全てもらえるとでも思っていたのでしょうか?

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清原家衡


1086年、家衡は清衡の館を襲撃しました。
そして、清衡の妻子を惨殺しました。
(なんて奴だ‼︎家衡‼︎)
清衡は生き延びることができました。

ここで義家が清衡に手を貸します。義家・清衡の連合軍が誕生しました。

連合軍は家衡を攻めるべく、家衡の籠った沼柵(今の秋田県横手市)を攻撃します。

しかし、季節は冬で攻城戦の準備が出来ていなかった連合軍は敗れました。

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沼柵



つづく…

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