平氏から源氏 追討 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

平忠常は郎党に書状を持たせて京へ送りました。しかし京で郎党は捕まってしまいます。
書状は内大臣・藤原教通宛てで、追討令の不当を訴える内容でした。(藤原教通は関白・藤原頼通の弟でかつて忠常がつかえていた人物)


1028年8月、追討使となった平直方と中原成道らの討伐軍200人が京を出発したのは任命から40日経ってからでした。
吉日を決めるのに時間を要したらしいですが、危機感のないことですね。


国家から謀反人とされた忠常は大椎城を拠点とし徹底交戦します。

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大椎城(今の千葉県千葉市緑区にありました)


合戦の詳細は不明ですが、討伐軍は苦戦しました。消極的な中原成道と積極的な平直方は仲たがいし、一向に鎮圧できません。

1029年2月、朝廷は討伐軍を補強しますが鎮圧はすすみません。12月、京への報告を怠ったという理由で成道は解任されます。

1030年3月、忠常は安房国の国府を襲い、安房守・藤原光業を放逐します。

朝廷は後任の安房守に平正輔を任命しますが正輔は伊勢国で同族の平致経と抗争中で安房国へ向かうどころではありませんでした。

(平正輔は平貞盛の孫、平致経は平貞盛の従兄弟の孫。ややこしいですが、とにかく同族)

平氏はあちこちで同族の争いをしてますね。



つづく…



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