純友の謎 番外編 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

純友の起こした反乱は、純友の死で終結ではありませんでした。

残った反乱軍がいました。
しかし、これも鎮圧されます。
純友が橘遠保に捕まった?討たれた?のが941年6月中旬。
9月中旬に播磨で三善文公が、10月中旬には藤原文元が殺されました。
この結果、10月下旬に朝廷は追捕使、警固使を停止します。事実上の乱終結となります。


純友を討った橘遠保は、その功により伊予国宇和郡を与えられました。
(確か宇和郡の一部は純友の領地もあったような…)

また橘遠保は美濃介に転任しましたが、944年2月何者かに殺されました。


純友らを裏切った藤原恒利ですが、乱後の消息がわかりません。(資料が残ってないのでしょう)



平将門は討たれた後、怨霊になった伝説がずっと残っています。
純友はどうだったのでしょうか?

日本には御霊信仰というのがあります。
人々を脅かす天災、疫病の発生は怨みを持って亡くなったり非業の死を遂げた人の怨霊の仕業とみなされ、これを御霊とすることにより祟りが逃れることのようです。

平将門や菅原道真などには神社に祀ったり、官位を贈ったりしてますね。

純友を祀った神社はわずかに二つですが、当時の人々は純友の怨霊を恐れていたのだと思います。

橘遠保も藤原恒利も祟られたのかもしれませんね。

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葛飾北斎が描いた怨霊

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