会津城は鶴が舞う姿に似ているというので「鶴ヶ城」とも呼ばれる。

その城は、明治新政府軍と戦った最後の場所。

1ヶ月籠城して耐えたが遂に降伏。

その間、山本八重なる女性が城の中で鉄砲隊を指揮していたことなど、『八重の桜』を見るまで知らなかった。

その戦で、この美しい城はすっかり破壊されたのです。


$東北の歴史・文化・風土を訪ねる-鶴ヶ城



ところでこの会津藩は、最後の松平家に至るまで藩主が目まぐるしく変わっている。

芦名、伊達、蒲生、加藤、上杉という具合だ。

最後の松平は当初は保科(ほしな)を名乗っていた。

その経緯が興味深い。




会津に移ってきたときの保科家の主は正之だった。

その正之とは、実は徳川二代目の将軍秀忠の隠し子なのだ。

はっきりしないようだが、どうやら秀忠は江戸城に仕える女を手ごめにしたらしい。

ところが妃に知られることを恐れた秀忠は、生まれた子をこっそりと信州高遠へ送った。

その妃というのが江姫だ。

茶々の妹。

そう、これも大河ドラマでやった『江~姫たちの戦国』のヒロイン。




送られた先は保科家だったが、その子は逸材だったらしく家督を継ぐことになった。

その保科正之はそんな生い立ちから、徳川への忠義が強かった。

そして、関ケ原で石田三成側についた上杉が米沢へ追いやられた後に、会津藩主に据えられたというわけだ。

そればかりでなく、松平の家名も与えられた。

その松平家の最後が容保(かたもり)ということですね。




正之は徳川への忠義を家訓にしたため、それが容保まで継がれて行った。

容保はそれを頑なに守り通した。

ところがそれが災いして、新政府軍に攻撃されることになった。

何も悪いことをしていないはずの会津松平家はこうして滅んだのです。




先日の『八重の桜』では、西郷隆盛がこんなことを言ってました。

「何かひとつ違っていたら自分たちがそうなったかも知れない」

歴史は何が作用するか分からないということでしょうか。