会津若松で、一番人気がある藩主は誰か知ってますか?
最後が松平容保(かたもり)だったから、彼だと思うかも知れないですね。
松平家は会津をとても愛していた。
それは『八重の桜』でも分かりますね。
では容保が一番人気なのかな?
会津は何度も藩主が入れ変わった。
その中で何度も出たり入ったりしたところがある。
それは蒲生(がもう)家。
そこに氏郷(うじさと)という男がいた。
かつて氏郷は、織田信長の人質になっていたことがある。
そんな肩身の狭い立場だったが、デキる人物だったらしい。
そのために信長からも一目を置かれ、遂には信長の三女冬姫を嫁にもらうまでになった。
一方で氏郷は、信長からたくさんのことを学んだらしい。
その一つが楽市楽座だ。
会津を任されたとき、氏郷はそれに倣って「楽市通り」を作った。
それが今の七日町通りだ。
そうやって彼は会津の興隆に努めた。
ところが、氏郷は40歳のとき突然死んだらしい。
その背景には諸説があるらしいが、秀吉が殺したという説もある。

(七日町通りにある白木屋漆器店)
その根拠となる要素がいくつもあるのだ。
まず、氏郷は信長や秀吉に比肩されるほどの傑物だったため、秀吉は彼を恐れていた。
それから、氏郷は秀吉が進めた朝鮮出兵に反対していた。
さらには、氏郷はキリシタン大名だったために秀吉の反感を買った。
そして、信長の娘をもらったことへの恨み。
この最後の根拠は、秀吉ならいかにもありそうではありませんか?

(キリシタン大名、蒲生氏郷の襖絵)
さて、蒲生氏郷とはそんな人物なのであります。
実は、私が会津若松を訪ねたとき、ちょうど祭をやっていました。
その祭とは、氏郷の祭なのです。
そこで最初の質問に戻るわけです。
会津で一番人気の藩主は?
それは、どうやら松平容保より蒲生氏郷のようであります。